ふみちゃん

何故か突然K氏がこけしを下さり、私はその子に「ふみちゃん」と名付けた。

なんだろう――このもやもやとした気分。暗澹、とはまさにこういう心情を云うのだろうな。「教師ってさー」に始まる色々を、私はもう聴きなれてしまっている。家族のしている仕事を今の私は誇りに思っているけれど、家族全員がセンセイである事は、必ずしもプラスに働きはしないのだという事も、もう知ってる。写生大会で金賞を貰っても自由研究で褒められても模試で1位をとっても全部「さすが教師の娘だね」。もっと露骨な言い方をする者からは「お母さん(お父さん、お祖父ちゃん、お祖母ちゃん)がセンセイって羨ましいー。大人に手伝って貰ったら賞取るのも簡単だよね」等々。自分で幾ら努力したって、そんなの誰も認めてくれないんじゃないかと諦めていた時期もあった。実際は家に帰っても深夜まで仕事をしているし、生徒の事でいっぱいいっぱいで子ども達の話をゆっくり聞く暇すら持てない親達であったのに。
そして或る時期を過ぎると、今度は所謂「教師批判」が始まる。中学校では「教師なんてムカつく」、高校では「先生なんて無能だよね(笑)」、大学では「教師って、世界が狭そう――」。そういう言葉を自分の奥まで浸透させぬよう「知らないんだ、仕方ない」と自らに言い聞かせることで、これまで自分の心を守ってきた。自分の居る場所で「無事に」生きていく為に、「ちゃんと」対処出来ていた筈なんだ。


でも。
今夜、少し酔ったKが皆の前でその言葉を吐いたとき、心臓が跳ねた。不意打ちで、心の準備が出来ていなかったせいかも知れない。心許せる相手ばかりだったから油断していたのかも。「教師になるのって絶対器が小さい奴らばかりだと思う。教師目指してる同級生とか、俺が今まで逢ってきた先生とか見ても…」
解ってる。私は解っている。彼に特別な悪意が無いことも、軽い気持ちで何も考えず、気持ちを吐露しただけなのだということも。
でも。
教職を取っている(別の職に就くけれど)私、家族が教員(決して特別な職業ではないはず)である私を前に、恋人がそういう言葉を放つという事の意味を、考えずにはいられない。
私は、一日数時間の睡眠で土日も働き、疲れ果てボロ雑巾の様になって、それでも生徒の為にと学校へ向かう両親の姿を知っている。そんな彼らが好きだから、全てを一括りにして見下す意見に怒りを覚える。本当は、本当はそんな時、誰であろうときちんと反論して、家族の誇りを守りたいと思っている。
なのに。
ああどうして。
私は皆が帰った部屋で独り、大事な人の言葉を反芻し、皆の笑い声を思い出し、ただ哀しむばかりだ。とてつもない哀しさに、押しつぶされてしまいそうだ。開き直って笑い飛ばすことも、死ぬほど頑張っている人の為に怒ることも出来なかった。私はとてもずるい。
「暗澹」…阿呆か、私は。